ある老人は人生を誰かに継承したがる。今までの叡智を伝えて少しでも自分をこの世に刻もうとする。

 

子孫繁栄以上に思想繁栄を望み、親のない子に人生哲学を残そうとする。

 

なぜ親のない子か。

 

おそらくその子の父、あるいは恩師として。

 

何人の記憶からも消えた時、真に死んだと言える。

 

彼はそれを非常に恐れている。

 

生きるために生きている。それがどれだけ虚しいことか、一切の希望すらも見ない、語らない

 

生きがいを求めている。

 

老人福祉は偽善だろうか。自我すらも薄い曖昧な存在を一体どうして大金をかけるのか。

 

本人の叫びは無力だろうか。

 

彼はこれからどうなるのだろう。

 

何を生かしているのだろうか。

 

よくするとはなんだろうか。

 

幸せが絶対的ならば、幸福でないかれは死を待つのみを選んだことになる。